『月と六ペンス』

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

今年の課題図書のうちの1冊、『月と六ペンス』を図書館であっさりと見つけてしまったので、早速借りて読むことに。
去年の6月に出た光文社古典新訳文庫なので、字も大きくて段組に余裕があり、とても読みやすそうです。


wikipediaで調べてみると、本書が書かれたのは、1919年とのこと。
何と、百年近くも前のことではありませんか!
こんなに古い本を読むのは久しぶりだったので、少々身構えてしまい、「無理せずゆっくり読もう。駄目そうだったら最後まで読むのを諦めよう」と思っていたのですが、杞憂でした。
主人公であるストリックランドが出てきたあたりで、どんどん加速がついて行き、その日のうちに読み切ってしまったのです。
古典作品が今まで生き残っているのは、それなりの理由がある、ということですね。


本作品は全て、ストリックランドの知り合いだったイギリス人作家の一人称で語られます。
彼は、作家達の集まりに出席していたストリックランド夫人を通して、物語の主人公であるチャールズ・ストリックランドと知り合うのですが、その時の彼は、ごく普通の、どちらかというと少々退屈な、株式仲買人でした。
ところが突然、彼は家族も仕事も捨て、パリへ出奔するのです。
彼が女性絡みで家を出たと考えた夫人は、語り手の作家に夫と話をしてきて欲しいと依頼し、彼はパリへ向かいます。
しかし、パリの安ホテル見つけたストリックランドには女性の影は全くなく、家を出た理由を聞かれて、彼は「絵を描きたかったからだ」と答えたのでした……。
それから月日が経ち、語り手の小説家はパリへ移り住みます。
そこで彼は、取り憑かれたように絵を描ストリックランドと再会し、語り手の友人である三流画家の家庭とストリックランドを巡る悲劇に遭遇します。
結局、語り手がストリックランドと直接会うのはそれが最後で、その後の奇妙な絵描きの人生は、生前に彼と知り合いだった人々の口から語られ、語り手によって再構成されてゆきます。
まずは、パリを出たストリックランドが向かったマルセイユでの話。
そして、長い航海を経てたどり着いた楽園・タヒチで彼と出会った人々の話。
結局、平穏な生活を捨てて南の楽園にたどり着いたストリックランドは、親切な人々の世話になりながら、恐縮することもなく、傍若無人にただひたすら絵を描きまくり、病魔に冒されて命を落としたのでした。
その死に様は、何とも言えず強烈で、読みながら鳥肌が立ってしまう程でした。


一応、フランス人画家のポール・ゴーギャンがモデルであるとのことですが、ストリックランドという人物は、ゴーギャンとの相違点も多く、サマセット・モームの創作したキャラクタであると捉えた方が間違いなさそうです。
この主人公については、ロンドン時代とパリに行ってからのギャップが大きすぎて、戸惑うほどでした。
文字通り人が変わってしまったようで、ミステリ脳の私は、思わず他人の成りすましを疑ってしまいましたよw
人間、これほど1つのことに全身全霊で打ち込めるものなんですかね?
往年の芸術家って、みんなあんな感じだったのか……?
ゴーギャンの絵は、前から好きでしたが、(いい意味で)見る目が変わりそうです。


思ったよりも気に入ったので、本屋さんで格好良い装丁のやつ(角川版?)を見つけたら、買うことにします。
光文社や岩波は、表紙がシンプルすぎて嫌なので。